2009年6月30日火曜日

スワイショウ

スワイショウ
20分はするように

氣功道場に通っていた頃はよくいわれた
怠けている

今朝
朝風呂に浸かり
スッキリした身体で
ベランダで朝陽を浴び
何気に
スワイショウを始めた

氣功の先生の言葉が甦ってきた

太陽の光が頭の上にきています
その光がだんだん下がって
身体を筒状に包みこんでいきます
床を通って地面に入り
マグマを抜けて
地球の裏側に突き出ます

またその光は地球の裏側から戻って
足元から身体全体を包み
上に抜けます

身体はホントに熱くなる
さらに別の声が聞こえる

眼に見えているものは
すべて自分の心

他人に不快に思うことも
自分の心の一部

まったく自分にないものは
気にもかからない
気付かないから

本当を知りたいというから
見せているのやで


いつも有難う御座います

2009年6月29日月曜日

食べ物を飲み込まない

食べ物に気をつけている方々が回りに多いので
私の雑食ぶりによく驚かれる

肉を全く食べない友は
あれは死んだ動物ですよ
そう顔をシカメル

果物しか食べない友は
人は昔 類人猿
チンパンジ-と同じでよろしい
そう訴える

それぞれこだわる人は
よろしくないものを食すと
体調を崩されるらしい

それは確かによろしくない

胃腸が強いわけではない
むしろ
おそらく
胃腸が弱いことを自分で知っている

根っからの医者嫌い
根っからの痛み嫌い
根っからの臆病者

だから
飲み込んだりはできない
口の中で
何百回と噛んで噛んで
液体となって喉にス-ッと流れるまで噛んで
胃腸の負担にならないよう
気を遣っている

さぬきうどんやさんでは嫌われる
うどんは喉で味わうもの
などと責められる
うどんも口の中で
うどん粉に戻るまで潰す

せっかく長く伸ばした麺も
さっぱりワヤやなあ
そう思われてるに違いない

出されたものは断れない
死んだ肉であろうとも
もう殺されてしまったのだ
役に立たせてもらいます
その肉の一切れが
いつも自分の死後の肉片と
思ってしまう

なによりも
食べ物を選ぶというのは
贅沢である気がする

与えられたものが
与えられたもの

いつも有難う御座います

2009年6月28日日曜日

3人会

久しぶりの3人会

内なる深い話ができる仲間

仲間というには失礼かもしれない
ご指導いただく先生も入っている

世情から医学から映画から宗教へ

大事にしたい時間
次の約束をして幸せを感じる

何を食べたか
何を飲んだか
そんなことを忘れさせる味の濃い会話

ちゃんと繋がっていたんだ

いつも有難う御座います

マイケル・ジャクソン

ジャクソンズ
来日したのはマイケルが7歳くらい

フェスティバルホ-ルの最前列で
マイケル・ジャクソンと握手した

その頃
オズモンズのファンクラブの会員だった
オズモンズとの比較をキャッチコピ-としたフライヤ-に
青山音楽事務所に抗議のレタ-を送った
私は中学生

ご丁寧に
加藤タキさんから
自筆の手紙が届いた

それ以来
今でも加藤タキさんのファン

人間の幸せってなんだろう
またそう考えさせられた
マイケルの最期

有難う御座います

2009年6月26日金曜日

冗談にも責めないで

ふと
この前のライヴを思い出す

MCもあがって
ジョ-クの中で
仲間を責める

言われた者は
素直に謝る

云われる方は
経験上
ジョ-クとわかっても
いい気分はしないはず
わたしならつらい

云う方は笑いをとる軽いジョ-クのつもりでも
マイナスの指摘は傷つく

事実がどうであるかに関係なく
客観的にみれば
どの言葉を使うかという
品性だけが心に残る

云えば云うだけ株を下げ
耐える方は株を上げる

そうなんだ

つらいと思ってたことが
救われた気がした

有難う御座います

2009年6月25日木曜日

ウォ-タ-ベッド

通い出した治療院に
ウォ-タ-ベッドがある


カナダのホ-ムステイ先で
ウォ-タ-ベッドがあった
はじめての経験だったが
どうも体重移動に反応して落ち着かなかった

ここはさすがに治療目的
ウォ-タ-ベッドの中が
さらにバイブレ-ションする
身体の下で波が移動する
これは気持ちいい
さらにあたたかい
ぷかぷか海に浮いているようで
意識は南国の島へ


タイマ-は容赦なく
眼を覚まさせる

一晩このベッドで寝たら
どんな夢を見れるんだろう

お持ち帰りしたいベッドに
はじめて出会った

有難う御座います

2009年6月24日水曜日

コ-ルドリ-ディング

昨夜の飲み会で
それぞれが騙された経験を披露

出るわ出るわ
ニュ-スの世界の出来事
身近にないと思っていた

新橋で3000円ポッキリの勧誘に
90,000円ボラレタ

その種のことは
その場にいた殿方全員が経験していた
皆さん自分の恥を秘めていたが
みんなが経験していることを知り
安心されていた

騙すより
騙される方がいい
とはいうものの

騙す人々の頭の良さに感心しきり
どこまでも人の好い人たち

コ-ルドリ-ディング
人の気持を変える言葉のテクニックがあるらしい

その場で
物やお金を手に入れたとしても
最後には同じ

騙された後悔より
騙した後悔はつらいだろうな
気の毒に
修復するのは大変

明るい道を歩きましょう
話が盛り上がりすぎて
火曜会が発足した
人生はおもしろい

いつも有難う御座います

2009年6月23日火曜日

Dr. コパ

神戸に戻り
神棚に朝の挨拶をする

伊勢神宮で選んでいただいた神棚の下に
写真が立てかけてある

正座して拝むと
顔を上げたその眼は
写真に向き合う

2年前
伊勢でお木曳き行事に参加したときの集合写真
真中にどかんと
Dr.コパさんが座っておられる

毎朝頭を下げていたんだ
拝んでいたんだ

こんなご縁が繋がることになろうとは
オフィス・コパ
お世話になることになろうとは

いつもより深く頭を垂れる
どうぞよろしくお願いします

集合写真の後ろ端には
Shikinamiの3人

ツポン
いつもありがとうございます
ノグチクン
いつもありがとうございます

すべては繋がっている

いつも有難う御座います

Real


Real
原宿にある美容室
縁あってCUTをお願いした

上手だという評判に
お任せしたら
LongがShortになっちゃった

背中まであった髪を
きれいなウェ-ブですね
なんて褒めながら
予告もなく
お伺いを立てられることもなく
バッツンバッツン
みるみるショ-トヘアとなった

彼が評判の美容師でなかったら
真っ青になっていただろう

お任せします
そう云ってしまったのだ

失恋した後
気持ちを吹っ切る気分
なぜかそんな気分になる

鏡見るたび
笑っちゃう

不思議
髪型に合う表情ってあるんだ
ウキウキニコニコ
悪くない

いつも有難う御座います

2009年6月22日月曜日

Shikinami in 赤坂カ-サクラシカ


6月21日
誕生日
父の日

赤坂の素敵なレストランで
Shikinami
記念ライブがあった

Dr.コパさんが
即興演奏のお題にすかさず
 怪傑ゾロ
と叫ばれた
スパニッシュのかっこいい
怪傑ゾロ が仕上がった

なんの打合せもなく
3人が音を迷うことなく
紡ぎ出していく
いつも感心するばかり

麒麟
ラストの締めはこの曲
これはかっこいい

そしてアンコ-ルは
彩乃かなみさんが入り
 千の風になって

いろんな方々との挨拶やら
素晴らしい演奏やら
素晴らしい歌やら
盛りだくさんの感動と感情で
興奮冷めやらぬまま
帰路へ

贅沢な時間に感謝

いつも有難う御座います

2009年6月21日日曜日

映画「剣岳」

新田次郎原作

新田次郎の山ものは好きでよく読んだ
これは読んでいない

立山は二度登ったことがある
剣岳は登っていない

山も山男も好き
山の美しさや厳しさの様子は容易に想像できた

想像とは違うテーマにふれ
羨望と感動に胸打たれた

聴覚障害者の方々のために
字幕スーパーがでたことで
BGMの曲紹介もあり
理解を深めることができた

エンディングロールもよかった

これは観るべし

いつも有り難う御座います

平沼神社


横浜の水天宮様
平沼神社



入り江に流れてきた祠(ほこら)を

沖に何度も流そうとすれども

祠は何度も岸に戻ってきたそうな

神様の御啓示であろうと感謝し

平沼新田の守り神として

崇敬されてきたという



安産 水難除 火難除



近くに立派な氏神様がおられるのは有り難い

今日もお宮参りのかわいい赤ちゃんに出会った



どうぞよろしくお願いします



いつも有難う御座います



将門塚


東京に着いた
まずは将門塚へ



東京大手門にある

三井物産ビルの間にひっそりあるのに

参拝者が絶えない

ここには曰く付きの伝説が多く残る



子供らが東京に住むようになったとき

神ごとの指導を受ける御師から

将門塚に参るように教えられた

それから上京する度

まずは将門塚へ



将門塚の後ろに

皇居のお堀を守る龍神がおられるという



今朝も立派な花がたくさん供えられ

きれいに水掃除されていた

清々しい朝をむかえられました



いつも有難う御座います





2009年6月19日金曜日

臓器移植

A案可決

TVで脳死の子供の家族が紹介される
番組によって何組も

なんて愛情深いんでしょう
なんて幸せそうなんでしょう

子の姿をされたそのお方は
物言わぬ神様

TVに向かって手を合わせた

生まれていただいて
有難う御座います

2009年6月18日木曜日

奇経八脈

奇経八脈(きけいはちみゃく)

勉強会では習っていたが
治療を受けるのは初めて

スパイラルテ-プの先生を訪ねるように
教えてもらった

経穴を電気で調べる
腎経と出た

腎経は冷え症
奇経八脈
陰陽五行の関係を
丁寧に説明してくださる

スパイラルテ-プを
両足の踝
右手の脈
その3箇所だけ

ああら不思議
身体が柔らかくなる

診療所内の五行図
奇経八脈のファイル
すべて先生の手書きのもの

また不思議な先生に出会ってしまった

いつも有難う御座います

思い通りにならない

おとなしそうな方からのご相談

うまくいかない
思い通りにならない
耐えてる感じを訴えられる
こんな方は多い

ご自分の思いが通ってないようで
しっかりご自分の思いに固執されている

誰もが自分だけの辞書をもち
誰もが自分だけの法律をもつ

自分以外はおかしい
信じられない
耐えられない

耐える必要などない
自分の辞書を捨てればいい
自分の法律を変えればいい

それはしたくない
そうわかったら
苦を選んでる自分を認めてあげればいい

なにより自分の身体が喜ぶ
他者により自分の身体が蝕まれるほど
アホらしいことはない

いつも有難う御座います

2009年6月17日水曜日

鍼灸師

神戸の鍼灸師の元へ

神経のポイントに5箇所ほど
効く効く

次は針を刺さない療法
経絡をさぐり
なでられてるような
チクっと押されてるような
 このまま30分寝てください
いわれるままするしかない

まどろみの中で
身体の下の方から
波打つようにぼわんぼわんと
身体の中に氣が移動するのがわかる
何かがめぐりめぐりかけめぐる

起き上がると
身体のだるさが消えていた

これもはまりそう

いつも有難う御座います

2009年6月15日月曜日

お大師さまのお誕生日


今日は
弘法大師空海の御誕生日

774年香川県善通寺市で御生まれになられた
幼名は真魚(まお)
高知県室戸市の御厨人窟(みくろど)での修行中
口に明星が飛び込んできて悟りを開いたという
目にしていたのは空と海のみ
それで空海と名乗ったと

お大師さまの氣を感ずるところは
たくさんあるようだ
存命の頃にも
後世に影響を与えることを
わかっておられたのだろうか

中山寺の大師堂では
花飾りがきれいだった

御生まれいただいて
有難う御座います

2009年6月14日日曜日

《人生の祝福》

 《人生の祝福》

 大事をなそうとして
 力を与えて欲しいと
 神を求めたのに
 慎み深く従順であるようにと
 弱さを授かった

 より偉大なことができるように
 健康を求めたのに
 より良きことができるようにと
 病弱を与えられた

 幸せになろうとして
 富を求めたのに
 賢明であるようにと
 貧困を授かった

 世の人々の称賛を得ようとして
 権力を求めたのに
 神の前にひざまずくようにと
 弱さを授かった

 人生を享受しようと
 あらゆるものを求めたのに
 あらゆることを喜べるようにと
 生命を授かった

 求めたものは一つとして
 与えられなかったが
 願いはすべて聞き遂げられた

 神の意にそわぬ者であるにも拘らず
 心の中の言い表せない祈りは
 全てかなえられた

 私はあらゆる人生の中で
 最も祝福されたのだ

 J・ロジャ-・ル-シ-神父の詩


今朝届いた「今日のお言葉」
ミミズ研究をされる先達からときどき
お言葉を拝聴する

いつも深いお言葉をいただくが
今朝は最後まで読む前に涙がこぼれた

いつも有難う御座います

2009年6月13日土曜日

語尾に品性

会議が続く

お蔭さまで立派な方々と同席させていただける
お蔭さまでこれでも若輩者で発言の機会は少ない
お蔭さまでたっぷり観察できる

歳を重ねる方々はそれぞれに自分の歴史をもっておられる
社会的に立派であられたにはしっかりした哲学もおありのよう
ゆえにご自分の考えに自信もおありで
そういう方々の集まりでは譲られないこともある

それぞれのお考えになるほどもっともと思う
それぞれなかなか説得力のある含蓄の在る言い方をされる

よくよく観察すると
流れは内容ではない

内容を言葉にされているようで
気持ちを伝えておられる

その気持ちは話し方の語尾に表現される

その語尾によって
次の流れに入る

せっかく素晴らしい内容の意見をいわれても
語尾で人を動かせない方もある

そして語尾にこそ
品性がにじみ出る

怒りの感情を表に出そうとされるとき
じっとその方を見つめると
語尾が和らぐよう

人のことだから冷静にわかる
自分は失敗だらけ
自分は後悔だらけ
怖くてしゃべれない
それぐらいでちょうどいい

いつも有難う御座います

2009年6月11日木曜日

個人が組織より大事

ピ-タ-・ドラッガ-

個人が組織よりも大事
人間の幸福が最も大事

会計事務所時代
いっちょまえに
経営や労働者について
激論をかわしていたこともあった

誰のための会社なの
飲んでよくくりかえしていた

ピ-タ-・ドラッガ-
大きな影響を与えても
大きな波は個人をのみこんだ

生誕100年を迎え
実践したユニクロ柳井さんの成功をみて
ようやく

人のための人の社会を人が作る

このシンプルなことが追いやられずに
真中を進むようになった

不況のお蔭

大丈夫

いつも有難う御座います

2009年6月10日水曜日

好きなことしかしてはいけない

好きなことしかしてはいけない

一番好きなことをする
そのための努力を惜しんではならない

子供たちが小さい頃から
言い続けた

まさかこんなに素直に育つなんて

大きな夢を聞かされて
大変な道を選ぶなんて
子育ての責任を感じる

二つの道があるなら
難しい方を選びなさい
それはあなたを成長させる

そういい続けてはきたものの

覚悟を決めねば
最後まで責任をとると

いつも有難う御座います

2009年6月9日火曜日

墓参り


星を学んだ御師はよくいっていた
お墓になんかいませんよ


霊的なことを学ぶ御師もいう
お墓になんかいませんよ

わかっている
お墓におられるわけじゃない
ただお墓にいく姿を見ておられる
身体を洗うようにきれいにし
丁寧に拭かせていただく
新鮮な季節の花を供える
ロウソクの火を灯し
線香の煙たなびかせる

その作業の間も話し続ける
存命のとき以上に
前に来た日からこの日までの家族の様子を話す
ご存知でしょうが
お蔭さまで
お蔭さまで

1ヶ月の間に
いろいろなことがあっても

こうしてお墓参りに来れている

1ヶ月の間に
自分のことで精一杯でも

こうしてお礼をいう余裕をもてた

大変なとき
その最中は
守ってもらえてることを忘れる
ここにくると
ああ守ってもらえてた
そのことに気づく

1ヶ月に1回
状況を整理し
自分自身を見つめる
いつの間にか
そんな場所になっていった

毎回思い出す
火を点ける役割をやりたがる
小さな子供たち

毎回思い出す
帰り際のセリフ
ほら おじいちゃんがバイバイしてるよ
線香からゆらゆら揺れる白い煙

いつも有難う御座います

2009年6月8日月曜日

不器用

インド人コックと話した
昨日の日曜日ダイゴジに行ったという
ええ-ほんとに-
ヒンドゥ-教のインド人
まさかまさかあの醍醐寺にいったなんて
醍醐寺って御開帳してたでしょ
わざと難しいことを言ってみた
 ハイゴカイチョウシテテヨカッタア
エエなんで御開帳まで知ってんの

休みにお寺巡りをよくするという
なんだか似てるじゃないの

 アナタハブキヨウデショ
 アナタハブキヨウデショ

わたしは不器用じゃないよ
なんでそんなこというの

 ニホンジンハミンナブキヨウネ

だからわたしはちがうって
あなたはわたしの何をしってるっていうの

 アナタモオテラニイクデショ
 アナタモブキヨウデショ

ブキヨウじゃなくてブッキョウ
不器用じゃなくて仏教ね

ようやく話が進んだ
ここでまた仏教徒じゃなく神徒
なんていうのはややこしい

それにしても
不器用だといわれて
なんであんなに抵抗したんだろう
ほんとは言われてもいないけど

変な日本語で
変なエゴを発見

有難う御座います

2009年6月7日日曜日

石上神宮鏡池


月が変わったので墓参りに
そして石上神宮へ

緑が深く
風もある
気持ちいい

お参りのあと
ちょっと散策

鶏がのびのび啼いている
蝶々が花から花へ密巡りに舞っている

手水場(ちょうずば)から永久寺跡への道に
鏡池
ここの蓮はいつも見事
今は時期ではない
思い出しながら水面を眺める
耳には音霊行
ふんわり穏やかな氣に包まれる

手書きの小さな立て札がある
ヒメボタルが舞う
それは6月10日頃

夜など来れないのに
日が近いだけで高鳴る心

いかにもホタルが舞いそうな水辺
いつか出会ってみたい

静かで幻想的なものに惹かれるようになった

いい感じ

いつも有難う御座います

2009年6月6日土曜日

白山神社


父に会いにいった
父はアルツハイマ-
グル-プホ-ムにお世話になっている

駅からの道に
白山神社がある

父の元へ向かうとき
必ず参る
おそらく父の住まいの氏神様

静かな小さな神社
境内の立派な神木からすると
相当古い神社であることがわかる
いつもきれいに手入れされている

父はホ-ムでは優等生
静かでいつもニコニコ
手がかからないらしい

戦争では前線で働き
戦後は0からがむしゃらに働き
我々3人の子供たちを
立派?に育て上げた

しっかりした介護と
穏やかな生活
それは
父の頑張りに与えられた
神さまからの最後のご褒美
そう思ってる

富山県出身の父は
よく越中おわら節を歌っていた

♪きたさのさ-あああ どっこいさ-のさ-
 越中で立山 加賀では白山 

今白山神社に守られてることは
偶然だろうか

いつもお守りいただいて
有難う御座います

第2子命名

ずっと前から頼まれていた
まだ先だと思って最後の詰を伸ばしていた

産まれました
どうしましょう

こちらが慌てた
まあ2週間ある

第1子の命名も関わらせてもらった
そのときに基本を指導してるので
今度は両親の案はなかなかいいものばかり
さあここから
いろんな方法から長短を見つけ出す
音の先生からのアドバイスも受ける

生まれてしまってる場合
有難い
赤ちゃんに聞けばいい
赤ちゃんの顔をみて
しっくりくる名前がいい

実は名前は初めから決まっている
生れでた赤ちゃんの運勢は決まっているから
その運勢に見合う名前が付けられる
赤ちゃんの方が先に知ってるのかもしれない

産まれたての画像を送信してくれる
携帯の中の赤ちゃんをみて
つくづく思う

こんなに皆でよってたかって
この子の人生が幸せになるように
一生懸命思う

この子が光り輝くように
自分たちのもつ光を集める

なんと恵まれた子だなあ

もうすでに幸せのスタ-トをきっている
命名はその大事な儀式

関わらせていただいて光栄でございます

いつも有難う御座います

2009年6月4日木曜日

木之本地蔵院




竹生島へ渡る船でお隣に座られた方
たまたま地元湖畔の方であった
一期一会
きのもとに立派な地蔵さまがおられるという
盛大なお祭りもあるという

お地蔵さまはひっそり小さな祠におわすもの
そういうイメ-ジ
門前町まであるお地蔵さんに興味をもった

大きなお堂
立派な境内
最初に迎えてくれたのは
手水場のカエル
龍の代わりに蛙

たまたまカエルの置物を集めている
なんだかご縁があるぞ

身代わりカエル
眼を患った旅人が地蔵尊に願かけた
寺の池に棲むカエルが旅人に片目を与え
旅人は旅を続けることができた
それ以降この寺に棲むカエルは
片目をつむっている
そういう伝説

京都の眼やみ地蔵さんも
眼にご利益があるという
お地蔵さんは眼と繋がってるんだろうか

小さな身代わりカエルをお土産に持ち帰った
カエルのスペ-スに置いてやると
それまで家にいたカエルたちまで
ありがた~く思えてきた

いつも有難う御座います

2009年6月3日水曜日

己高閣世代閣


己高閣(ここうかく)
ここも無人
立派な収蔵庫
人がきた気配に
別の棟から人が出てこられた
ここでも町民の方のお世話による


ここでも
十一面観音菩薩
魚藍観音

山の小さな寺にそれぞれあった仏像
大事に保管できるようにと
集合されたという


立派な仏像がたくさんある
地の場にあった仏さま
地の民のための仏さま


向源寺といい
石道寺といい
この己高閣といい
国宝 重文級の仏像が
村民町民の手により大事にされている
寺の住職はいない


偉い階級のお坊さんがいる有名なお寺に
安置されている仏像より
慈悲深い気がするのは
偏見だろうか


賤ケ岳の合戦
舞台となったこの地で
よくぞ村人が観音さまを守られた
よくぞ観音さまが村人を守られた
事実としての強い絆
自然に働かせていただく相乗効果

信仰の元をみせてもらえた

有難う御座います

2009年6月2日火曜日

観音の里







石道寺(しゃくどうじ)から鶏足寺(けいそくじ)へ
己高山の山中
ゆっくり歩いて30分ほど

こんなところを歩いてみたかった
映画の中にいるような風景
深い山でもなく
麓でもない
山の中にいて明るい

誰かとくればよかった
急にそう思った
さみしくなったわけではなく
一人でこの風景の中にいるのは
もったいない

気持ちいいねえ
素晴らしいねえ

そんな会話を想像してたら
トンボと蝶々が道案内にきた
一羽のトンボと一羽の黄蝶
仲良しみたい
前を交差しながら踊ってみせる

夢をみているようなふわふわした感覚

ここを目的にきたわけでないのに
心から望んでいたところに来れた
そんな導きを受けた喜び

ここは観音の里

有難う御座います

2009年6月1日月曜日

石道寺十一面観音菩薩


湖北のさみしい山の中
隠れ里
あまりにひっそり小さいお堂に驚いた
市川雷蔵が隠れていそうな古堂

立派な仏像があるとは思えない
門も閉ざされている
右の小屋には二人の老婆

観音さまに会いにきました

 はいはい

よっこいしょ っと部屋から出てこられた
腰の曲がった老婆がゆっくり進む
その後をゆっくり続く

セピア色のお堂の五段ほどの古びた階段を上がる
扉らしきものはない
不思議に思っていると
右に回りこみ古い木枠の戸をス-と開けられた

小さな小さなお堂の中に入る
小さな小さなお堂の中央に
大きな大きな十一面観音立像
立派に立っておられる

お堂の入口に老婆用のパイプ椅子が一つ
そこに座るとちょうど手の届く位置にラジカセのスウィッチ
案内のテ-プが流れた

この狭いところに
3体もの十一面観音像がある
立派な持国天も多聞天も控えている
中央の本尊は173センチ
台に乗っているからさらに大きく見える

本堂と同じ色あせているが
金箔が貼られていた名残も見える

今まで京都や奈良で見てきたものと違う
本物の場所にある観音さまに会いに来れた気がする

1メ-トルも離れていない間近で拝見
小さな声で真言を唱えていると

 どうぞ大きな声で唱えてください
 私も聞かせてもらいますから

老婆に許しを得たようで
観音経を出した

こんな素晴らしい観音さまの前で
一人ゆっくり佇む

予期せぬ贅沢に感無量

有難う御座います