2008年6月26日木曜日

したい、はできない?ESR

こうなりたい、こうしたい、は、こうできない、といってることだという。

したい、といってるうちは、何もしてないことだという。

いや、こうしたいんだけど。

ほら、また「したい」という。「だけど」という。

叱る人がいるのは、ありがたい。

しかし、話が進まない。

今、してないことを話すのに、こうしたい、はだめなの?

言い切りなさい。

なるほど。

こうします、か。

そう。

そして、ESR.


今できてないけれども、こうしたい、ああしたい、はだめなのよ。

こうします、ああします。

どうします?

さて、どうしよう。

なんだかやっと進んだ気がする。

そうなんだ。

具体的にどう行動するかを今まで考えてなかったんだ。

こうします、こうします、どうします?

こうします、こうします、こうします。

う~ん。

学びます、勉強します、動きます。

動けない、未熟だ。

チャンスがなかったんじゃないんだ。

自信がないんだ。

じゃあどうすれば?

失敗する為に経験させて頂く時間をもつこと。

えらそうにしてはいけない。

具体的には?

う~ん。

私が、見本です。

これだ!

私がきれいにならなければいけない。

背筋伸ばして、クロスクロ-ル。

リズムに合わせて、クロスクロ-ル。

毒素排泄、クロスクロ-ル。

そして、ESR。

2008年6月16日月曜日

タッチフォ-ヘルスのセミナ-で、ESR。

タッチフォ-ヘルスのセミナ-に出ました。
一番初めのプログラムで、過去のトラウマに対して、ESRをするセッションでした。
せっかくのセミナ-だから、この機会を利用しようと思いました。
誰にもしゃべったことのない対人関係の過去の出来事に焦点を合わせました。
対人関係でトラぶったわけではないのです。
私は、トラブルが嫌いだから傷を受け入れたまま、後ずさりしてさようならするのです、いつも。
だから、そのラストは解決しないまま、トラウマとなってずっと残る。
その相手とまたうまくやっていかないといけない状況になってしまいました。
もちろん過去のその場面など、相手は覚えてもいないでしょう。
しかし、顔を見るたび、私はその場面がくりかえし蘇ってくるのです。
それでも平然としていなくてはいけません、大人ですから。
このことを今回ESRのテ-マとしてみました。

私は、クライアントです。
筋反射をとってもらいます。
「そのことを思って下さい。」
私の腕の筋肉は、弱くなりました。
これでこのセッションにふさわしいテ-マだとわかりました。
ESRをしてもらいます。
後ろから私の前頭葉突起に軽く触れてもらいます。
私は意識を集中しました。
いつもは場面が一瞬蘇る程度ですが、このときはこの為の時間です。
その過去の場面の前後をゆっくりたっぷり思い出しました。
そこへ行く前、出会ってからの会話を順に思い出しました。
今までいやな思い出だからか、思い出したくないけど、自然にフラッシュバックしていただけだと思っていましたが、集中すると関係ない会話までも次々思い出して、驚きました。
私の中には、しっかりすべて残っていたんだ、と。
そのこと自体もすごい発見で感激しました。
たっぷり蘇った頃、
「どんな感じですか?」
とセラピスト側の方から声掛けがありました。
あっ、脈が同調してきたのかしら、とプロセスがわかっているので、思いましたが、まだ思い出しただけで楽にはなっていません。
おかしいな、この時点ではまだじゃないかしらん、と返事をしませんでした。
ずっと集中していると、思い出すことがなくなってくると、だんだん場面が変わってきました。
時間が進んでいくのです。
そのとき抑え込んだ気持ちに胸を苦しめながら、そのあと必死に孤独に耐えてがんばったこと。
何年もそれが続き、今に至るまで走馬灯のように私の半生が見えていきました。
人は死ぬ直前に、自分の一生を走馬灯のように映画をみるように見えるといいます。
まるで、そんな感じでした。
そして、すとんと楽になりました。
傷ついたかに思われた私の痛みこそが、私を生きさせてくれたことを知りました。
私はつらい思いをし続けたのではなかったのです。
こうなるために必要なものを与えられたのです。
ESRをする前は、私を傷つけたのはその相手である人だと思っていました。
だから、その人との関係にトラウマがあると思っていました。
ESRの終わりには、その人はまったく私には関係がなくなっていました。
私は、私の人生のために必要な経験をしたにすぎなかったとわかったのです。
その人に対して、いやな思いや憎しみがなくなればいいと思っていました。
そのために許す努力が必要なのだと、勝手に想像していました。
そのプロセスは、まったく必要がなかったのです。
これは驚きです。
恐るべしESR。

2008年6月9日月曜日

川崎の軍艦を見て、ESR。


川崎の軍艦。


これは目の錯覚で、別の建物の重なり。


軍艦に見えるだけで、勇ましい強固な感じがする。


そして、戦場に繋がるイメ-ジをもつ。


次に、悲しくなる。


そこにあるものは、何もしていないのに、何ものの意図も発していないはずなのに、こんなにも心に入り込んで身体の気を変化させる。


そして、 ESR。


案外、無機質のビルの形状も、設計士の意図する気を発しているのかもしれない。


それでは、人に影響を与えすぎる。


まさか。


心の場所を変える。


大海原、静寂、凪、満天の星。


ここでは、無理なのか。

2008年6月1日日曜日

青を見て、ESR.。

人間関係、仕事、うまくいかない、どうすればいいんだろう。

目標設定も具体的に思い浮かばない。

選ばれた五行の色は、青。

すりきれてる
恐怖
わびしい
中毒
できないことに向かおうとしている

マイナス面を解放する

青い色を見つめて、ESR。

でるわでるわ。

できないことにむかおうとしてパニックになってる私。

できないことをできるようにならなければ生きてはいけない恐怖。

心がすりきれてるのに、がんばることを休めない。

がんばったところで、幸せが待っていない気がしてわびしい。

青を見つめる。

ひたすら見つめる。

ESRは、他人まかせ。

できないものはできない。

できることを一生懸命しつづける。

他人の評価が、NOならそれまでだ。

これ以外のやり方がないほどにがんばろう。

それでだめなら、さようなら。

生きられない恐怖なら、そのときに味わおう。

一生懸命やっていきられないなら、それが私の寿命だ。

私は変えられない。

私は私らしく、観念して生きよう。

それでだめなら、さようなら。

あるがまま、が、よくわからなかったけれども、私らしくありたいと思えるのは、私らしいものがあることを知っているんだ。

変えたくないんだ。

変えようとしてしんどかったけど、変えないで生きれる最後まで生きよう。

楽になった。

ごめんなさい。

できません。

ESRって、すごい。

満足しました。