2011年2月15日火曜日

38度線


昭和20年10月生まれの御方に
お話を伺う機会を得た

ご両親は
旧満州で仕事をされてて
8ヶ月の身重の身体で
命からがら
38度線を超えられたという

朝鮮の方々によくしていただいたことや
鉄道の様子やお仕事のこと
亡き御父上から聞かれた詳細のお話を
又聞きの形で伺うことができた

もう少し早く産まれていたら
命はなかっただろう
乳飲み子を連れて帰れなかった話も
数多く聞いたと
もう少し遅く産まれる子なら
安定期でなく過酷な引き上げは
無理であったろうと
御自分の出生を
とてもラッキ-だといわれる

新田次郎の奥様である
藤原ていさんの書かれた
『流れる星はいきている』
を読んだときの印象が
強くよみがえる

昭和20年よりも前に生まれた方々には
特に
穏やかな老後を送っていただきたいと
想う
まだ老後というお歳ではないが

ときどきこうして
日常のちっぽけな悩みを
薄くしてもらえる

御蔭様で
まだまだだなぁ
よしもうひとがんばり
勇気をいただけた

いつも有難う御座います