2008年6月16日月曜日

タッチフォ-ヘルスのセミナ-で、ESR。

タッチフォ-ヘルスのセミナ-に出ました。
一番初めのプログラムで、過去のトラウマに対して、ESRをするセッションでした。
せっかくのセミナ-だから、この機会を利用しようと思いました。
誰にもしゃべったことのない対人関係の過去の出来事に焦点を合わせました。
対人関係でトラぶったわけではないのです。
私は、トラブルが嫌いだから傷を受け入れたまま、後ずさりしてさようならするのです、いつも。
だから、そのラストは解決しないまま、トラウマとなってずっと残る。
その相手とまたうまくやっていかないといけない状況になってしまいました。
もちろん過去のその場面など、相手は覚えてもいないでしょう。
しかし、顔を見るたび、私はその場面がくりかえし蘇ってくるのです。
それでも平然としていなくてはいけません、大人ですから。
このことを今回ESRのテ-マとしてみました。

私は、クライアントです。
筋反射をとってもらいます。
「そのことを思って下さい。」
私の腕の筋肉は、弱くなりました。
これでこのセッションにふさわしいテ-マだとわかりました。
ESRをしてもらいます。
後ろから私の前頭葉突起に軽く触れてもらいます。
私は意識を集中しました。
いつもは場面が一瞬蘇る程度ですが、このときはこの為の時間です。
その過去の場面の前後をゆっくりたっぷり思い出しました。
そこへ行く前、出会ってからの会話を順に思い出しました。
今までいやな思い出だからか、思い出したくないけど、自然にフラッシュバックしていただけだと思っていましたが、集中すると関係ない会話までも次々思い出して、驚きました。
私の中には、しっかりすべて残っていたんだ、と。
そのこと自体もすごい発見で感激しました。
たっぷり蘇った頃、
「どんな感じですか?」
とセラピスト側の方から声掛けがありました。
あっ、脈が同調してきたのかしら、とプロセスがわかっているので、思いましたが、まだ思い出しただけで楽にはなっていません。
おかしいな、この時点ではまだじゃないかしらん、と返事をしませんでした。
ずっと集中していると、思い出すことがなくなってくると、だんだん場面が変わってきました。
時間が進んでいくのです。
そのとき抑え込んだ気持ちに胸を苦しめながら、そのあと必死に孤独に耐えてがんばったこと。
何年もそれが続き、今に至るまで走馬灯のように私の半生が見えていきました。
人は死ぬ直前に、自分の一生を走馬灯のように映画をみるように見えるといいます。
まるで、そんな感じでした。
そして、すとんと楽になりました。
傷ついたかに思われた私の痛みこそが、私を生きさせてくれたことを知りました。
私はつらい思いをし続けたのではなかったのです。
こうなるために必要なものを与えられたのです。
ESRをする前は、私を傷つけたのはその相手である人だと思っていました。
だから、その人との関係にトラウマがあると思っていました。
ESRの終わりには、その人はまったく私には関係がなくなっていました。
私は、私の人生のために必要な経験をしたにすぎなかったとわかったのです。
その人に対して、いやな思いや憎しみがなくなればいいと思っていました。
そのために許す努力が必要なのだと、勝手に想像していました。
そのプロセスは、まったく必要がなかったのです。
これは驚きです。
恐るべしESR。