2009年9月10日木曜日

あのときもし  を選んでいたら

『あの時もし○○を選んでいたら・・・』

そんなテ-マのスピ-チで

そのテ-マに該当することがない
そう思えるほど
常に最善の選択をしてきたつもり
でした
先月のことです
息子と二人でパリに旅行しました
パリに着いたとたん
  あああのカ-ディガンをもってくれば良かった
  あっちのカメラにしといたら良かった
  やっぱりあの靴にすれば良かったなあ-
と独り言を繰り返していたそうです
息子が突然
  もおお たらればタラレバたられば ばっかり!
そう叫んだのです
わたしは たらればなど云う人間ではない
そう思い込んでいたので
びっくりしました
  ええ うっそ-!
  ママ そんなタラレバ云ってる?
  いやあ 気をつけるわ-
そう云いながら
2日目も3日目も
  ああ充電しといたらよかった
  あそこであのお土産もっと買っといたら良かった
  ああもうちょっと時間があったらなあ
  ああもうちょっと両替しといたらよかったなあ・・・
息子がまた
  もおお 毎日毎日タラレバタラレバタラレバタラレバ
  もうタラレバ炒めにするでええ―!
・・・  
これは日常のささいなことですが
私たちは日々瞬間瞬間選択を繰り返し
後悔し
学習し
楽しんでいます
私たち阪神間に住む者にとって
共通の
一生に残るショッキングな出来事として
阪神淡路大震災を経験しました
あのとき 
もっと頑丈な家に住んでたら
もっと水の蓄えをしといたら
もしあの日あの部屋に寝ていたら ・・・
私たちは たくさんのタラレバの仮定を思い
悔やんだり
あるいはホッとしたりしました
当時
私の子供たちは小学生でした
近所のお友達のお母様が
落ち着いた頃
  うちは明石に寿司屋の親戚があってね
  その日のうちに車で明石に行ったから
  毎日普段よりおいしいもん食べさせてもろて
  ラッキ-やったわ!
そう話されました
それはほんとうにラッキ-なのでしょう
彼女は 安全で便利な方を選択されたのです
当然です
そのお話を聞いたとき
私は その子供のことがかわいそうだなあ
そう思ってしまいました
地震
その瞬間の恐怖体験もさることながら
そのあとの不自由な生活の中で
私たちは たくさんのことを学びました
小学生の子供たちは
学校が再開されるまで
せっせと近所の家のために
水運びの奉仕をしました
共に不自由な生活を共有する仲間として
たすけ合い
人の優しさや絆を
身をもって体験する
という
大きな学びを得ました
生きていればこそ
いえるのですが
本当に
子供たちにとっては
貴重な勉強時間でした
あのときもし○○を選んでいたら・・・
それが便利で安全な幸福への選択であっても
喜べるし
不便な
一見不幸への選択であったとしても
学びのチャンスとして
いつか喜ぶときがくる
そう思います

いつも有難う御座います