私は毎年、訪ねてくるひとに京都のどこかの寺を、そのときの思いのままに案内するのだが、約束のときに
「東寺の御影堂の前で待ちましょう」
ということにしている。京の寺々を歩くには、やはり平安京の最古の遺構であるこの境内を出発点とする のがふさわしくまた京都御所などよりもはるかに古い形式の住宅建築である御影堂を見、その前に立ち、しかるのちに他の場所に移ってゆくのが、なんとなく京都への礼儀のような気がして、そうゆうぐあいに自分をなじませてしまっている。
弘法大師(空海)に対する私の中の何事かも、こうゆう御影堂へのなじみと無縁でないかもしれない。
『古寺巡礼京都』東寺
司馬遼太郎氏の文章より
京都に降り立ち
最初に
東寺御影堂に向かう
司馬氏にならったわけではない
いや同じかもしれない
堂に上がり
般若心経を唱える
ここに
空海が
座っておられたのだ
勝手に感慨に浸る
あまりに居心地がいい
いつもしばらく
ボーと佇む
御蔭様で
京都は快晴
参拝日和
いつも有難う御座います