昭和20年10月生まれの御方に
お話を伺う機会を得た
ご両親は
旧満州で仕事をされてて
8ヶ月の身重の身体で
命からがら
38度線を超えられたという
朝鮮の方々によくしていただいたことや
鉄道の様子やお仕事のこと
亡き御父上から聞かれた詳細のお話を
又聞きの形で伺うことができた
もう少し早く産まれていたら
命はなかっただろう
乳飲み子を連れて帰れなかった話も
数多く聞いたと
もう少し遅く産まれる子なら
安定期でなく過酷な引き上げは
無理であったろうと
御自分の出生を
とてもラッキ-だといわれる
新田次郎の奥様である
藤原ていさんの書かれた
『流れる星はいきている』
を読んだときの印象が
強くよみがえる
昭和20年よりも前に生まれた方々には
特に
穏やかな老後を送っていただきたいと
想う
まだ老後というお歳ではないが
ときどきこうして
日常のちっぽけな悩みを
薄くしてもらえる
御蔭様で
まだまだだなぁ
よしもうひとがんばり
勇気をいただけた
いつも有難う御座います
お話を伺う機会を得た
ご両親は
旧満州で仕事をされてて
8ヶ月の身重の身体で
命からがら
38度線を超えられたという
朝鮮の方々によくしていただいたことや
鉄道の様子やお仕事のこと
亡き御父上から聞かれた詳細のお話を
又聞きの形で伺うことができた
もう少し早く産まれていたら
命はなかっただろう
乳飲み子を連れて帰れなかった話も
数多く聞いたと
もう少し遅く産まれる子なら
安定期でなく過酷な引き上げは
無理であったろうと
御自分の出生を
とてもラッキ-だといわれる
新田次郎の奥様である
藤原ていさんの書かれた
『流れる星はいきている』
を読んだときの印象が
強くよみがえる
昭和20年よりも前に生まれた方々には
特に
穏やかな老後を送っていただきたいと
想う
まだ老後というお歳ではないが
ときどきこうして
日常のちっぽけな悩みを
薄くしてもらえる
御蔭様で
まだまだだなぁ
よしもうひとがんばり
勇気をいただけた
いつも有難う御座います