私は議論して
勝ったためしが無い
必ず負けるのである
相手の確信の強さ
自己肯定のすさまじさに圧倒せられるのである
そうして私は沈黙する
しかし
だんだん考えてみると
相手の身勝手さに気がつき
ただこっちばかりが悪いのではないのが
確信せられて来るのだが
いちど言い負けたくせに
またしつこく戦闘開始するのも陰惨だし
それに私には言い争いは
殴り合いと同じくらいに
いつまでも不快な憎しみとして残るので
怒りにふるえながらも
笑い
沈黙し
それから
いろいろさまざま考え
ついヤケ酒という事になるのである
太宰治『桜桃』より
まったくもって
同じ心境
表に表現できないことが
どうしてこんなに
うまく内面を表現できるのか
『ヴィヨンの妻』の映画化により
再び太宰を読み始めた
35年以上も前に読み漁った
生活苦も知らない高校生が
何に感銘したのだろう
今 太宰と同じ年になり
また読み始めると
もっとすごくよくわかる
そして笑える
おそらく10代の頃は
笑えなかったことが
今は笑えてる気がする
そしてわかった
太宰を読みすぎたから
もっともっとと
それ以上の作家を
追ってしまうのかも
いつも有難う御座います